良くても悪くても、我々はあなたを遣わして語られる我々の神である主の御声に聞き従います。我々の神である主の御声に聞き従うことこそ最善なのですから。 (エレミヤ42章6節)
上記はユダヤに残留した民全員が、預言者エレミヤの許を訪ねて来て口にした言葉です。エレミヤを通して語られる主の御声が、自分らに良くても悪くても、それに聞き従いますと約束しました。
背景はこうです。バビロン王はユダヤを治める総督ゲダルヤを遣わします。ところが刺客が送り込まれて総督は暗殺されてしまいます。民は暗殺者を逮捕しようとしますが、逃げられてしまいます。バンロン王の報復を恐れた残留民らは途方に暮れ、エレミヤを頼ります。そして、冒頭の聖句を口にします。嘘ではない信仰者らしいことを言います。しかし…。10日後、エレミヤが語った主の御声には公然と反対したのです。エレミヤは、エジプトへ逃げるのではなく、この地に留まるのが主の御声だと語ったからです。「今、あなたたちはバビロンの王を恐れているが、彼を恐れてはならない、彼を恐れるな、と主は言われる。わたしはあなたたちと共にいて、必ず救い、彼の手から助け出す」(42章11節)と神は言われたのです。それに対する民の反応が、43章に記されています。エレミヤに向かって「あなたの言っていることは偽りだ。我々の神である主はあなたを遣わしてはいない。主は『エジプトへ行って寄留してはならない』と言ってはおられない」と反論したのです。こうして、ユダの地に留まれという、主の御声に聞き従わなかったのです。なぜ?恐れのためです。残留民は「報復を避けるためエジプトへ逃げよう」と決めていたのです。バビロン王の報復を極度に恐れたのです。そして、この地に留まれば、殺されるか、バビロンへ捕囚される、と思い込んでいたのです。そんな人々にエレミヤは「エジプトに下るなら、一人も生き残れない」と告げます。だが人々は、エレミヤに反論して言った、「あなたが主の名を借りて我々に語った言葉に聞き従う者はない」(44章16節)と。何という態度でしょうか。エレミヤは終始、神の代弁者として、「主はこう言われる」と、忠実に主の言葉を語った預言者でした。自分の思いや人間的な観測ではなく、主が言われることだけを語りました。なのに、自分が受けた主の言葉を疑われ、生涯にわたって、どちらが神の言葉なのかを問われ続けた預言者でした。そこに彼の偉大さと苦悩がありました。