リブラでバビロンの王は、ゼデキヤの目の前でその王子たちを殺した。バビロンの王はユダの貴族たちもすべて殺した。その上で、バビロンの王はゼデキヤの両眼をつぶし、青銅の足かせをはめ、彼を、バビロンに連れて行った。                                                                              (エレミヤ39章6,7節)

 ユダ王国最後のゼデキヤ王は優柔不断な人でした。バビロンに降伏するよう勧めるエレミヤと、それとは正反対の強硬派との間で揺れ動きました。反バビロン派に迫られ、エレミヤには聞き従いませんでした。その結果が冒頭の聖句です。最悪の事態です。そうなる前、牢獄に監禁されたエレミヤとの最後の会話。エレミヤは「『バビロンが攻めてくることはない』と預言していたあの預言者たちは、一体どこへ行ってしまったのですか」と、ゼデキヤ王に問います。偽預言者たちのことです。彼らは事態が抜き差しならなくなると姿を隠してしまったのです。そんな預言者たちが多くいたのです。何と無責任で、人受けすることばかり口にしていたかです。それに対してエレミヤは違いました。敵国であるバビロンを用いて、神は私たちの罪を罰している。だから、バビロンに降伏すべきだ、とエレミヤは語りました。ゼデキヤ王はエレミヤを信頼していましたが、高官たちはエレミヤを非国民呼ばわりしました。そうした一連の出来事や思惑が、今、盲目にされたゼデキヤの脳裏を駆け巡ったことでしょう。後悔先に立たずです。エレミヤの声に聞きしたがっていたら、こんなことにはならなかったとの後悔です。他人事とは思えないのです。歴史は繰り返します。日本に於いても、米国との戦争でエレミヤと同じ降伏を預言したら、非国民と呼ばれ迫害されたでしょう。

大勢に従う(多数派の意見に従う)という言葉があります。そのような発言は世から受け入れられます。偽預言者らが何人も出て、バビロンを打ち負かせると豪語しました(エレミヤ28章)。しかし、今、隠れてしまいました。遂に、ダビデ王朝は滅亡してしまいました。その後、エレミヤはどうしたのでしょうか。彼はバビロンから優遇すると言われましたが、自分一人の幸福だけを求めませんでした。ユダの地に残された民と共に留まります。そして、神の言葉を語ります。
レンブラントは「エルサレムの滅亡を嘆くエレミヤ」という作品を残しています。憂いを帯びた預言者は、神がこの事態をどの様に見ているかを考えさせます。