そこで、エレミヤは別の巻物を取って、書記ネリヤの子バルクに渡した。バルクは、ユダの王ヨヤキムが火に投じた巻物に記されていたすべての言葉を、エレミヤの口述に従って書き記した。(エレミヤ3632節)

パソコンで書類作成をほぼ終えた時、ちょっとした不始末で全文が消えてしまいました。保存していないので、初めからやり直しです。その時の嘆きと徒労感を、冒頭の聖句のバルクの思いと重ね合わせました。

善王ヨシヤの子なのに、ヨヤキムは父とは正反対の悪王です。エレミヤ36章に記されているのは、神からエレミヤに語られた言葉を口述し、弟子のバルクが巻物に書き記します。かなりの分量です。それを神殿で人々の前で読み上げるよう、バルクに命じます。断食をする記念日でした。それを聞いた人が、その内容を王の高官らに知らせます。高官と役人らはバルクを呼び、「座って、我々にも巻物を読んでください」と言い、聞き終えると、王に伝えねばならない、と語り合います。王は巻物を記述したエレミヤとバルクの命を狙うから、二人は急いで身を隠すようにと言います。
王は巻物を取って来させ、王と高官たちが聞いている所で朗読させます。時は冬で、王は暖炉の前に座っていました。エレミヤがバルクに口述筆記させた巻物を、役人ユディが読み上げました。彼が三、四欄読み終わるごとに、王は巻物をナイフで切り裂いて暖炉の火にくべ、ついに、巻物をすべて燃やしてしまった。このすべての言葉を聞きながら、王もその側近もだれひとり恐れを抱かず、衣服を裂こうともしなかった。巻物は神の言葉だから燃やさないでください、との声にも王は耳を貸さなかった。そのため苦労して書いたものを、全部焼き捨てられてしまったのです。冒頭の聖句は、それに続きます。そこで…と。

現在残されているエレミヤ書は、再度、口述筆記されたものです。もし、バルクがもう嫌だと投げ出していたら、エレミヤ書は聖書に存在しなかったでしょう。45章にある、バルクの嘆き「わたしは疲れ果てて呻き…」(3節)が聞こえるかのようです。

神殿で発見された律法の書の朗読を聞いて、ヨシヤ王は衣を裂き、悔い改めました(列王下22章11節)。ところがその子ヨヤキム王は、悔い改めようともせず巻物を燃やしてしまいます。何という違いでしょう。聖書を書き残してくれた人々の労苦に感謝します。