わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心 に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与え
 るものである。    (エレミヤ29章11節)

この聖句だけ読まれることが多いですが、その背景を知る必要があります。預言者エレミヤは、バビロン捕囚にされた同胞が偽預言者に惑わされないように、と願って手紙を書き送りました(29章4~23節)。その中の一節が冒頭の聖句です。ハナンヤという預言者は、2年のうちに私はバビロンの王の軛を打ち砕くと民衆に語っていました。これを聞いて民衆は喝采しました。時は前594年で2回目のバビロン捕囚が行われた頃です。異国に連行された人々は、すぐにでも故国に帰りたい。偽預言者らはその気持ちを代弁し、バビロン打倒を口にしました。それに対してエレミヤは、捕囚からすぐに帰ることではなく、バビロンに住み着くことを勧めました。家を建て、結婚して子を産み育て、70年先まで留まるために、バビロンの町の平安を祈るよう勧めたのです。7節:わたし(神)が、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。こうした背景を知ると、単なる将来への希望ではないことが分かります。なぜならエレミヤの預言は、故国から引き離されて辛い思いで捕囚生活をしている同胞には受け入れ難い言葉に思えたでしょう。捕囚の地での実際の生活は、ある程度自由が保障されていましたが、捕囚生活が長期にわたると伝えるエレミヤの言葉は大きなショックを与えたと思われます。でもそれが真の意味での「平和の計画」だったのです。たとえ今は、災いの計画と思えたとしても、そこを超えて与えられる将来と希望を伝えることが手紙に託されているからです。

エレミヤは敵国バビロンを用いて神が捕囚を起こされた、と理解しました。バビロンは故国ユダの罪を罰するために用いられた神の器だからです。しかし、このようなことを告げたエレミヤは理解されませんでした。無理もないことですが、いかに大きな視点に立ってエレミヤが預言していたかです。それが分かったのは、バビロンが徹底的に滅びることを記した 50-51章を読んだときです。全部で110節も費やしてバビロンの最後を記したエレミヤの心情に触れたときです。