主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのに、いつまで、あなたは聞いてくださらないのか。

 わたしが、あなたに「不法」と訴えているのに、あなたは助けてくださらない。          (ハバクク1章1節)

預言者は神の代弁者として、「主はこう言われる」と民に語りかけるのが通常です。ところがハバククはそれとは違い、自国民にも他国民にも語りかけていません。彼自身が主なる神に問いかけ、訴えています。前回のヨナも含めて預言者の多様性を知らされます。

ハバククは民に代わって神に問いかけます。冒頭の聖句です。世の中の現況に疑問を抱いています。もしハバククが今生きていたら、ロシアがウクライナに侵攻し、それを誰も止められない現況に疑問を投げかけたでしょう。私たちが平和を求めて叫んでいるのに、いつまで聞いてくださらないのか、「不法が行われています」と訴えているのに何ら解決が見えないのは、どういうことですか、と。ハバククにとってはバビロンであるカルデア人の暴虐さが目の前の問題でした。その彼の問いかけに神は答えます。「時代は終りに向かって急いでいるから、たとえ、遅いと思えたとしても待ち望め。裁きの時は必ず来る。遅れることはない見よ、高慢な者を。彼の心は正しくない。しかし、神に従う人はその信仰によって生きる」(ハバクク2章2~4節の意訳)。 言い換えると、「神に従う人は、その信仰によって生きる」となります。

いつの時代、どの国にも戦争はありました。権力者による圧制があり、国民はその不法を訴えました。しかし無力でした。そのような現実を、ハバククは神に訴えているのです。ですから、彼の預言は遠い外国で語られた昔の言葉ではありません。今、核の時代に起きている戦争の先には何が待っているのでしょうか。ハバククが語っているのは、「遅くなっても待て。それは必ず来る、遅れることはない。高慢な独裁者を見よ、彼は正しくない。だから、絶えず容赦なく諸国民を殺している。しかし、神に従う人は信仰によって生きる」(2章3,4節,1章17節)。この言葉は後々まで語り伝えられ、パウロはローマ書の主題にしています(1章17節)。福音には、神の義が啓示されていますが、それは、始めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。これが神の答えです。沈思黙考したいものです。