しかしヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。(ヨナⅠ章3節)
ヨナは特異な預言者でした。他の預言者と大きく違うのは、主が行くように命じたニネベには行こうとせず、それとは正反対のタルシシュに向かったことです。自分を無にして従うのではなく、嫌なことは主に命じられても拒否したヨナ。それでも預言者として、神はヨナを用いたのです。彼は、未熟(自分中心)な愛国主義者でした。だから、主から逃れられると思ったのです。そんなヨナですが立派な面もあり、荒れ狂う海に自分を放り込めば暴風は収まると言います。死を覚悟したのですが、神は彼を守りました。ヨナを吞み込んだ巨大な魚は鯨かも知れません。実際、鯨に呑み込まれた漁師がいて、ニュースになりました。呑み込まれていたのは30秒で、鯨は彼を吐き出しました。
魚の腹に3日間もいたヨナは吐き出された時、全身が異様な肌になっていました。そんな彼が、ニネベで「40日すれば、この都は滅びる」と預言すると、驚くべきことに、町の人々は皆悔い改めたのです。預言者の多くは、語っても誰も悔い改めないだけでなく、耳も傾けてもくれない中で、ヨナだけは違っていたのです。彼の異様な姿も関係したかも知れません。滅ぼすと言われた神は、ニネベの人々が悔い改めるのを見て、宣告した災いを取り消します。それを知ったヨナは激怒します。ヨナが預言した滅びは取り消されたからです。預言者としてのメンツ丸潰れです。しかし、こうなることは分かっていたので、御前から逃れて反対方向に向かった、とヨナは神に文句を言います。もう生きているよりも死んだ方がましです、と。
ヨナは、偏狭な国粋主義者であるユダヤ人の典型です。彼は強烈な日差しを和らげる、とうごまの木を喜びます。それは神が一夜で生えさせた木です。その木を神は虫に命じて枯れさせます。それに激怒するヨナに、神は優しく語りかけます。「ヨナよ、お前は自分で労することも育てることもしない、とうごまの木を惜しんでいる。それならまして私が、このニネベを惜しまずにいられようか。」それは、ヨナと同じく激怒している兄(弟は放蕩息子)に対しての言葉(ルカ15章31,32節)と同じ響きがあります。ヨナの返答は何もなく、読者に委ねられています。ヨナのような者でも、神は預言者として愛し用いた事は深い慰めです。