しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。 (マラキ3章20節)
クリスマス(キリストの誕生日)が12月25日になったのには、上記の聖句が関係しています。
太陽の光が一番短くなる日が冬至です。その日から太陽の射す時間が少しずつ長くなっていきます。それは希望を表しています。長きにわたるキリスト教迫害の時代は、コンスタンティヌス皇帝の時代に終焉を迎えます(AD.313年)。そして、いきなり国の宗教になります。皇帝が十字架の幻を見て、それで勝利したからです。それまで太陽を神として崇拝し、12月25日を太陽の誕生日として祝っていたのを、そのままキリストの誕生日にしたのです。それに影響を与えたのが冒頭の聖句「義の太陽」でした。もともと異教のお祭りでしたので、純粋にキリストの誕生を祝うよりも、世俗的な要素が色濃く入り込んだのです。私たちの先輩らがクリスマスを祝うのに、最初のクリスマスに見られた静かな、隠された姿であろうとしたのは故なしではありません。クリスマスを一過性の祭りとせず、そこから始まる救いに、目を留めていたことを知らされます。ちなみにですが、12月末では寒くて野宿などできないのでは、との意見があります。10月末に生まれたのではないかとの仮説があるほどです。定かなことは分かりませんが、12月でも羊飼いらは野宿をしているとの報告がなされています。
ヨセフが夢の中で天使から告げられた言葉、「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」(マタイ1章21節)は政治的な救済者ではないことを示しています。私たちの根本的な問題である「罪からの救い」こそ、イエス・キリストの使命だからです。イエス誕生の後、程なくしてエジプトに逃避しなければならなくなったのは、世の権力者たちを動かしている罪の力の故です。主イエスの力ある業(奇跡)を見た人々は、ローマの支配から解放してくれる王になるよう求めました。イスカリオテのユダも、その一人だったかも知れません。
クリスマスは初臨(First Coming)で、目指したのは十字架の贖いと復活です。そこで罪からの救いが成し遂げられたからです。そして、世の終わりの再臨(Second Coming)へと続きます。そこで政治的な救いも成し遂げられ、新天新地の神の国が実現します。