エフラタのベツレヘムよ
お前はユダの士族の中で、いと小さき者。
 (しかし)お前の中から、わたしのために
イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、
  永遠の昔にさかのぼる。     (ミカ5章1節) 

預言者ミカが上記の預言をしたのはイエス誕生より700年も昔のことです。救い主はベツレヘムで生まれると書き記し、事実、その通りになりました。しかし、ダビデの町ベツレヘムは小さな町でした。そのことから、神はいと小さき者、取るに足りない者をご自身の器として選び、用いられることが分かります。
毎年12月になると、ミカの冒頭の聖句が読まれますが、私たちも本当は小さい者に過ぎません。(その自覚が大切です)。ヨセフとマリアも身分の低い小さな者でした。そこには、神の身分を捨てて低くなり、人となられた主イエス様の謙遜さが示されています。

ミカは預言者イザヤと同時代の人で、終りの日の完全な平和を「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(4章3節)と、戦争が無くなることを預言しました。そんな時代が来ることを預言すると同時に、当時の人々の不信仰と堕落を糾弾しました。そして、エルサレムは瓦礫の山(石塚)に変わる、と訴えました(3章12節)。それから100年後、国の滅亡を預言したエレミヤが死刑判決を受けた時、預言者ミカの前述の預言が多くの人の前で読み上げられます。そして、預言者ミカは殺されたか?と問いかけ、そうしなかったと語られました (エレミヤ26章17~19節)。エレミヤが主の名によって預言していたからです。そのように預言者の言葉は巻物に書かれ、それを律法学者らが神の言葉として書き写し、保存しました。
マタイは、東方の賢者たちがエルサレムのヘロデ王を訪ねて来た時、王に仕える律法学者らがミカの冒頭の言葉を引用したことを記しています(マタイ2章6節)。600年前の預言者ミカの預言が読まれていたことが分かります。しかし、彼らは知っていたのに、ベツレヘムで生まれた王の王であるキリストを礼拝に行こうとはしていません。しかもヘロデ王は、幼児らを虐殺したのです。ヨハネは「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」(1章11節)、と書いています。イエス・キリスト不在のクリスマスの何と多いことでしょうか。小さく隠れた姿で救い主は来られたからです。