主はホセアに言われた。「行け、淫行の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ。この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ。」 (ホセア1章2節)
預言者ホセアの妻は、淫行の女でした。不倫を繰り返す女性でした。ホセアには3人の子どもがいますが長男イズレエル以外は自分の子ではありません。妻の不倫によって生まれた長女には、憐れまない(ロ・ルハマ)と名付け、次男には、私の民ではない(ロ・アンミ)と名付けます。預言者ホセアの家族は5人ですが、食卓を囲んでの楽しい会話は想像できません。どうしてこんな女性を妻にしたのでしょうか。神が命じたからですが、ホセアが神の代弁者だからです。それが冒頭の聖句に記されています。北イスラエルの歴代の王は皆神に背を向け、他の神々を求めていたからです。それは神への裏切りで、懐妊の淫行になります。そうされた側の心情を、ホセアはゴメルとの結婚生活で実感します。それでも神はイスラエルを愛し、贖うのです(3章)。不倫(淫行)は死に値する重い罪です。ホセアは妻を守るために、わが子として迎えますが、子どもの名前に自分の正直な思いを表します。憐れまない=可愛くない、私の民ではない=私の子ではない、とです。そのような背景を知って、ホセア書を読み直したいものです。そうしたことと、マリア懐妊の知らせを受けたヨセフの心情とを繋げたいと思います。
ヨセフとマリアは婚約していましたが、一緒になる前にマリアは聖霊によって身ごもります。それを知ったヨセフはマリアの姦淫を疑います。そこでヨセフは苦悩します。もし表沙汰にしたら、マリアは死罪です。そこでヨセフは秘かに離縁を決意します。すると、夜の夢の中で神からお告げを受けます。聖霊による懐妊だと。でも、誰がそのような事を信じるでしょうか。しかしヨセフは信じます。そして生まれてくる子を自分の子として受け入れます。ヨセフの中では幾つもの葛藤があったでしょうし、マリアもそうでした。マリアはゴメルとは正反対で、不倫などしていません。しかし、世の人はそれを信じるでしょうか。そこで神は御子イエスを、この2人に委ねます。ヨセフは、養父としてイエスを育てます。クリスマスの主役はマリアになりますが、そのマリアをヨセフが慈しむように守らなかったら、無事には済まなかったでしょう。聖霊によって生まれた神の御子キリストに栄光あれ!です。