主はイザヤに言われた。「あなたは息子のシェアル・ヤシュブと共に出て行って…アハズに会い、彼に言いなさい。 落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。…」 (イザヤ7章3、4節)
預言者は神の代弁者です。神に代わって言葉を伝えます。だから、「主はこう言われる」と告げました。決して「私はこう思う」とは言いません。自分の事は殆ど語りません。そのような中でも、預言者の人となり(肖像)について分かっている事を記します。
イザヤには2人の子どもがいました。イザヤの妻は「女預言者」(イザヤ8章3節)。つまり夫婦とも預言者でした。子どもの名前は、長男がシェアル・ヤシュブ(残りの者が帰る)で、次男がマヘル・シャラル・ハシュ・バズ(分捕りは早く、略奪は速やかに来る)。神が名付けています。その名前にはイザヤの預言が関係していて、彼の家族全員で預言をしているのです。
冒頭の聖句:アハズ王は敵対する周辺の国々が同盟を結んだと聞き「王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺します」(7章2節)。そんな王に、「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない」と、イザヤは語ります。神が介入されるから、信じて落ち着いていなさい、と勧めたのです。そして、その場に、息子を同席させています。主がそう命じたからです。イザヤ家の食卓では、何が語られたでしょうか。イザヤの預言活動の背後には家族がいました。
それに比して、預言者エレミヤは神から結婚を禁じられ、息子や娘を持つことなく(エレミヤ16章)、孤独のまま生涯を終えています。彼の預言活動そのものが悲劇性を帯びていたからです。心優しく繊細な感受性を持ったエレミヤは、預言者として苦悩しています。しかし、決して弱くはなく、偽預言者たちと対決しても譲りませんでした(エレミヤ26~28章)。
預言者エゼキエルには心から愛した妻がいました。神は「わたしはあなたの目の喜びを、一撃をもってあなたから取り去るが、嘆いたり泣いたり涙を流してはならない。声をあげずに悲しめ。死者の喪に服すな」と、命じられます(エゼキエル24章15~18節)。翌夕、彼の妻は死にます。こうした視点で預言書を読みますと、その任務のために一個人の幸不幸を超えて、神の言葉を忠実に語り、その通りに生きることに徹した姿に心打たれます。献身とは、そういうことです。