預言者はエリヤ・エリシャに代表される者たちと、イザヤ・エレミヤに代表される者たちの2つに分けられます。後者は預言を巻物に記述し、前者は主として超人的な働きが主で、何も書き残していません。
世の中の一般的は理解は言者ではなく言者ですが、聖書では神の言葉を「預かった人」を預言者と呼んでいます。その意味で、アブラハムも創世記20章7節でモーセも申命記34章10節で預言者と呼ばれています。
昔、イスラエルでは神託を求めに行くとき、先見者のところへ行くと言った。今日の預言者を昔は先見者と呼んでいた。(サムエル上9章9節)
預言者サムエルは、神託を予言する先見者と呼ばれていたことが分かります。失われたロバのことで最初の王サウルとの出会いを予言していたからです。これは大変興味深い聖句です。先見者は力ある霊能者と考えられていました。サムエルは最後の士師(裁き司)でしたが、同時に前述の先見者でもあった預言者の始祖となりました。アブラハやモーセの時代には民族のの指導者と預言者が一体でした。その頭がアブラハムでありモーセでした。ところが、ヨシュア以降は指導者の継承が途絶え、士師記からはそれぞれの部族ごとにリーダー(士師)が起こされるようになります。そして、堕落してゆきます。士師記の最後を読めば、悲惨な状態にまで民族全体が堕落していたことが分かります。そうした中で、神はサムエルを最初の預言者として立てたのです。

旧約聖書はアブラハム~モーセへと継承され、更にはダビデ・ソロモンへと王制が継承されました。そしてソロモンの子レハブアム王の時代に、国は北王国と南王国とに分裂します。北王国には一人も善い王(神に忠実な王)は出ていません。皆、神に背く王ばかりでした。南王国には善い王と悪い王が混在しました。そこに立てられたのが、イザヤから始まる預言者群でした。その時は政権側ではなく、それを批判する側から神の言葉を語っています。そして、後世の人々にも読めるようその預言を記述しました。それは時の政権批判でもあったため、命を狙われる危険がありました。つまり、命懸けで神の言葉を語ったのです。そうした人々が主に預言者と呼ばれ、記述された文書(預言書)を保存し、今に至るまで読み継がれています。