預言書の通読で教えられたことを、記します。
天よ聞け、地よ耳を傾けよ、主が語られる。
わたしは子らを育て大きくした。
しかし、彼らは私に背いた。(イザヤ1章2節)
預言者は神の代弁者として語り、書き残しました。イザヤは冒頭から罪の指摘で始めます。それが上記の聖句です。天と地に向けて「耳を傾けよ」とは、驚天動地の表現です。鈍い牛やろばでも飼い主を知っているのに、イスラエルは知らない。何という忘恩かと。
同じように預言者エレミヤも、次のように訴えます。
天よ、驚け、このことを 大いに、震えおののけ、
と主は言われる。 (エレミヤ2章12節)
理由は、生ける水の源である神を捨てて、代わりに水を溜めることができない無用の水溜を掘ったから。一体、どこの国がそんなことをしているのかと。エレミヤも罪の指摘を最初に語り、民を糾弾しています。でも、冒頭から罪を厳しく指摘したのは、何故でしょうか。それによって、本来の姿に回復させるためです。
そのことを私たちの身体の例で考えます。
背骨の歪み、骨盤の歪みが病気や腰痛の原因だと言われます。大黒柱である背骨が歪むと、体のバランスが崩れるからです。昨今、整体や整骨院が増えているのは、パソコン操作などからくる体と背骨の「歪み」が原因と思われます。歪み=ゆがみ、ひずみで、本来の姿から変形し、ゆがみとズレが生じた状態です。罪には「的外れ」という意味の言葉が使われています。的とは万物の創造主なる神です。的外れ、ズレるとは神を忘れること、神に背を向けることです。無償の愛をもって養い育ててくれた親を無視することだ、とイザヤは訴えています。エレミヤは生ける水の源である神を捨て、役に立たない代用品に替えるのが罪だと。
最近、「背中が曲がって猫背になっているよ」と言われ、はっと気づく年齢になりました。命の泉・本源である神との関係を歪めるのが罪です。霊的な歪み、背骨のズレを先ず指摘されて、はっと気づくことが本来の姿に戻る第一歩です。だから預言者は、容赦なく罪を糾弾しているのです。心の歪み、考え方の歪みなどは心身一如でつながり、神に結び付くからです。その歪みを、キリストによって整えてくださる主に感謝します。歪みである罪に気づくなら、その罪を解決してくださる(歪みを修正してくださる)キリストに身を委ねたいと願います。