天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(ルカ2章10~12節)
クリスマスは、メシア(救い主)の誕生を祝う日です。その誕生によって西暦は、BC(キリスト以前)とAD(主の年)に区分されるほど重大でした。しかし、実際にはキリストは世に受け入れられませんでした。それを示すのが,「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった」(ヨハネ1章11節)との御言葉です。でも私たちは、このお方を救い主として受け入れました。
救い主の「誕生」より「降誕」と表現されるのは、天から降って誕生されたお方だからです。神であるのに低くへりくだられたのです。どれほど低くなられたかを示すのが冒頭の聖句です。これは、野宿しながら羊の世話をしていた羊飼いらに語りかけた言葉です。羊飼いは、人口調査の対象外で、戸籍のない人たちでした。わが国でも非人、穢多と呼ばれていました。そうした差別され、救いからも外された人々が羊飼いたちでした。その事を知って天使の言葉を味わいます。そうした羊飼いに、救い主降誕のニュースが一番先に告知されたのです。「あなたがたのために救い主が、今日、お生まれになった」と。救い主は黄金のベッドと柔らかで高価な布にくるまれて寝ているのではなく家畜の食器である飼い葉桶に、粗末な布にくるまれて寝ていると言うのです。しかも、家畜小屋の片隅にいるのです。羊飼いたちは乳飲み子イエスを見て、何を思ったでしょうか。
以上のことから、どんなに低い階層の人をも救う神の御心が、クリスマスの物語には表現されています。ダビデの町と呼ばれたベツレヘムは、都エルサレムとは違い、今でも貧しい寒村です。そこに誕生されたのは、救いを必要とする貧しい人々をも救うとの意味が込められています。真っ暗闇の中にいた羊飼いらの上に、主の栄光が明るく照り輝きました。「暗闇に住む民は光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」との預言は、クリスマスに成就したのです。
この私のために救い主が、今日お生まれになったとは、何という大きな喜びのお告げでしょうか。