心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
常に主を覚えてあなたの道を歩け。(箴言3章5、6節)
新年に向けて、目標聖句を祈り求めることを始めて何年にもなります。一年を、聖書の御言葉を最優先して過ごすためです。冒頭の聖句は、今年の目標聖句ですが、この聖句のように一年を送っただろうか、と自問しています。折角、目標聖句を選んでも、三日坊主に終わりやすいものです。それと自分だけのものにするのではなく、兄弟姉妹と分かち合うことも意味のあることです。その意味で、茅ケ崎集会の元旦礼拝では、自分に与えられた目標聖句を出席者全員が言い表すことにしました。それが今も継続されていることは感謝です。その時だけで終わっても構わないから、とにかく神の御言葉に導かれることを第一にする一年でありたいと願います。冒頭の聖句の続きは次のようです。
そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。
自分自身を知恵ある者と見るな。主を畏れ、悪を避けよ。
そうすれば、あなたの筋肉は柔軟になり、
あなたの骨は潤されるであろう。 (箴言3章6~8節)
太字の2つの聖句には共通点があります。自分の分別に頼らない人は、自分自身を知恵ある者とは見ない人で、心を尽くして主に信頼する人です。とかく、自分の知識や経験に頼りがちです。そうしないで、何をする場合にも先ず主に聴くことです。それが、常に主を覚えて生活すること、あなたの道を歩くことです。そうすれば、主があなたの道筋をまっすぐにして下さいます。でも、いちいち主に尋ねるのは正直面倒に思えます。しかし、それを習慣にしますと、間違いのない判断ができます。何かを決断する時も、先ず神と聖書に聴くことです。そうしないで、自分の分別だけで判断すると何と間違いやすいことでしょうか。
2021年もあと数日になりました。今年も新型コロナ禍で、自宅での礼拝を余儀なくされましたが、秋以降感染者数が激減し、礼拝も再開されました。クリスマス祝会も一年延びましたが、春風みやこ姉をお迎えして行うことができました。しかし、オミクロン株という新しい脅威が迫っています。神はすべてご存知です。今年一年を振り返りつつ、感謝と悔い改めの祈りを献げます。「あなたの神、主が年の初めから年の終わりまで、常に目を注いでおられる」(申命記11章11,12節)。