国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン。 

殆どの教会で祈られる「主の祈り」は上記の言葉で締め括られます。しかし、主イエスが教えた主の祈りには、この言葉はありません。ではなぜ、そうした言葉が付け加えられたのでしょうか。
*新改訳聖書は、後代の写本には、[国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン]を加えるものもある、と注記しています。しかし、最古の写本にこの言葉はありません。後の教会の礼拝で用いられるようになってから、この言葉が加えられたからです。

主の祈りは「父よ」の呼びかけに始まり、神に関する3つの願いと人に関する3つの願い、合わせて6つの願いが述べられています。ただ、ルカ福音書は神に関する願いを2つに集約しています。いずれにしろ、「~してください」で終わっています。後に、主の祈りが礼拝で用いられるようになった時、嘆願ではなく神への賛美(頌栄)で終わるようにと、冒頭の言葉が追加されたことが分かります。2世紀初めに書かれた『十二使徒の教訓』には、力と栄光とは永遠にあなたのものだからです、が主の祈りの最後に追加されています。祈りは願いだけで終わるのではなく、神を讃える頌栄で締め括るのが当然と考えられたからでしょう。

ダビデの祈りとして、歴代誌上29章10-11節に、
「わたしたち父祖イスラエルの神、主よ、あなたは世々とこしえにほめたたえられますように。偉大さ、力、光輝、威光、栄光は、主よ、あなたのもの。まことに天と地にあるすべてのものはあなたのもの、主よ国もあなたのもの、あなたはすべてのものの上に頭として高く立っておられる」と、記されています。国と力と栄え(栄光)はあなたのもの、決して人間のものではないのです。偉大にして、限りない愛と赦しに満ちた神を賛美しています。私たちは多くの願いを祈りますが、神が崇められ、神の十全な御国が実現し、何より御心が為されますように。日々の必要をご存知の父神に糧を求め、互いに赦し合い、誘惑や悪魔から守られますように。

すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン」(ローマ11章36節)。
主の祈りで主が私たちに教えておられるのは、言葉遣いと共に信じる者の生き方です。神を第一にする生き方、神の子として父神を呼び、常に主を仰ぐ生き方です。