見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。               (エレミヤ31章31,32節)

 1500頁もある旧約聖書の中で、「新しい契約」と書かれているのは、上記の聖句1つだけです。古い契約は出エジプトした時に結ばれたモーセによるシナイ契約です。その時、十戒を中心に数多くの律法(戒め)が付与されました。神と契約を結んだイスラエルの民は皆、律法を守り行います、と誓約しました。しかし、その通りには守り行えず、その契約を破ったのです。

さて、エレミヤが預言者として召されたのはダビデ王朝の末期でした。国はバビロンによって攻められ、滅びようとしていました。神との契約を破ったからです。そんな時に、エレミヤは新しい契約の預言を語ったのです。バビロンは3回にわたってユダ王国を攻め捕囚も3回にわたります。国土が奪われ、そこから追放される捕囚に苦しみますが、それは契約違反の故です。エレミヤはそのような時に、この新しい契約を預言し、絶望している民に希望を与えようとしました。彼の語る預言の故に、民衆から憎まれ、売国奴と呼ばれました。また、暗殺の危機を幾度も乗り越えて神の言葉を語り続けました。国を愛していたからです。だから、真っ暗闇の時代に、新しい契約を預言したのです。
冒頭の聖句に続くのが、以下の聖句です。
しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。(中略)わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。   (33,34節)

律法を心に記すとは、聖霊による内側からの刷新で律法がもはや破られないことを意味します。そして、罪の完全な赦しであるイエス・キリストによる十字架の贖いが示されています。罪のないキリストの身体が2つに裂かれたのは、契約違反の罰を代わりに受けてくださったからです。主日礼拝でパンを裂き、杯を飲むことで、私たちは新しい契約を主と結んでいるのです。