わたしはあなたに告げる。主があなたのために家を建てる。(歴代誌上17章10節)
これは預言者ナタンがダビデ王に語った言葉です。ダビデが主のために神殿を建てようと考えていた時のことです。「自分は王となり、レバノン杉の豪華な家に住んでいるが、主が住まわれる契約の箱は天幕に置かれたままだ。それでは申し訳ない」との思いを巡らしていた時です。主なる神は預言者を遣わして、冒頭の言葉を告げます。人間に家を建ててもらって、そこに住む神ではない。その逆で、主がダビデのために家を建てるのです。この場合、家は建物ではなくダビデ王朝を意味します。この時、神がダビデに語った約束をダビデ契約と言います。しかし、歴代誌上17章にもサムエル下7章にも契約という表現はされていません。しかし、間違いなくこの時点で、神とダビデとの間で契約が結ばれています。それを示すのがサムエル下23章5節で、「神と共にあって私の家は確かに立つ。神は永遠の契約をわたしに賜る」と、最晩年に記しています。ダビデが「私の家」と言ったのは、ダビデ王朝のことで、それがイエス・キリストにまで継続するから永遠の契約と言っています。これがダビデ契約です。それは、神の約束に始まり、永遠の祝福に至ります。
それでは、前回、記したモーセ契約とどう違うのでしょうか。十戒を中心とする律法は、守り行うなら祝福するが、守らないなら呪いを下す、と言った条件つきです。それと較べると、ダビデ契約にはそうした条件は示されていません。そして、ダビデの子孫として生まれたイエス・キリストが、その王国を揺るぎないものとします。人間ダビデが神のために何かを行う律法ではなく、神がダビデのために行う福音が示されています。しかし…と思います。ダビデ王朝であるユダはバビロンに滅ぼされ、捕囚の苦難に遭います。それにもかかわらず、ダビデ王朝は滅びることなく、捕囚からの帰還によって主イエスに至るのです。それを示すのがマタイ1章の系図です。アブラハム契約とダビデ契約とイエス・キリストによる新しい契約は一つに繋がっているのです。
今回、歴代誌上29章23節に「ソロモンは主の王座につき、父ダビデに代わって王となった」と書かれているのに気づきました。ソロモンが就いたのは主の王座、神の王座です。人間的な王座だけではではなく、神の子が座る王座についたと書かれています。ここに、神の右の座につかれたキリストとの繋がりが示されています。目から鱗の気づきでした。