「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」 (ルカ22章20節)
聖書は旧約と新約が一冊になったものです。文学書というより契約の書です。ですから、契約についての理解が大切です。では旧約(古い契約)と新約(新しい契約)とは、どこがどのように違うのでしょうか。
普通の答え方は、イエスの誕生前が旧約で、誕生後が新約です。新約聖書は、イエスの誕生で始まっているからです。しかし、それは大雑把な理解です。正確には、冒頭の聖句が示すように、主イエスの十字架によって立てられたのが新しい契約です。それ以前は、主イエスが在しても旧約時代になります。それを別の表現で示したのが、ヘブライ9章15~22節です。
こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。(9章15節)
最初の契約=古い契約で、人類の始祖アダムが犯した罪のことです。そのため、死が全ての人に及びました。旧約時代の罪の贖いは、動物の犠牲(死)によって果たされました。しかし、毎年繰り返し動物の犠牲が必要でした。そこで神は、動物ではなくご自分の御子を犠牲にする新しい契約を立てるために、神の独り子を人として地上に遣わされました。そして、私たちが守り行えなかった律法を完全に守り行い、十字架にかけられたのです。続けて、次のようにあります。
「遺言の場合には、遺言者が死んだという証明が必要です。遺言は人が死んで初めて有効になるのであって遺言者が生きている間は効力がありません。だから、最初の契約もまた、血が流されずに成立したのではありません」(16~18節)。
原語(ギリシャ語)では、契約と遺言は同じ言葉です。そこに、深い意味があります。イエス・キリストが死んで、初めて新しい契約=遺言が成立します。律法の行いではなく、キリストを信じる信仰によって、永遠の財産(莫大な遺産)である永遠の命が与えられるのです。遺言の内容は福音です。そして、新約聖書の福音は、旧約聖書の中に隠されており、旧約聖書は、新約聖書の中に現わされているのです。だから、聖書は旧約と新約が一冊に合わさっています。古い契約の書(旧約)が残されているのは、そのためです。