ヨブはその後140年生き、子、孫、四代の先まで見る ことができた。ヨブは長寿を保ち、老いて死んだ。 (ヨブ42章16、17節)

こうしてヨブは死んだ。年老いて満ち足りた生涯であった。(新改訳2017版)これがヨブ記の締め括りですが、誠に幸いな最期であったことが分かります。しかし、ヨブ記全体は苦しみに満ちています。1~2章に記された突然の災禍は、ヨブが何歳の時に起きたのか記されてありません。功成り名遂げたヨブでした。社会的にも多くの人から尊敬され、東の国一番の富豪として活躍していました。しかも、驕ることなく神を畏敬し、悪を避けて生きていました。非の打ちどころのない人物でした。そんな彼の上に、天災と人災が交互に襲いかかり、財産と子どものすべてを失います。それでも、「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(1:21)と言いました。更に、自分の健康が奪われ、恐るべき病に罹ります。なぜ、どうして、こんな事が起きたのか。何か月も解けない謎を抱えたまま、ヨブは苦しみながら友人と論争を続けます。

このように展開してゆくヨブ記ですが、最後まで読み通して、神も共に苦しんでおられたことに気づきました。十字架のイエスがヨブの傍らに居られました。共に苦しまれるイエス・キリストを仰ぎ見て、ヨブは自らの罪と高慢さを悔い改めました。イエス様が十字架上で赦しを祈られたように、ヨブは友のために執り成しを祈られました(2020/10/25の建徳参照)。すると神はヨブを元の境遇に回復されました。その後のヨブの妻については何も書かれていませんが、夫婦関係は回復し、辛い時期を回顧し手を取り合い感謝したことでしょうこのことからも今がどんなに辛くても、絶望したり、死のうと考えてはいけないのです。後の新約聖書は、忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、 主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。 主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです、 と書いています (ヤコブ5章11節)。

私たちが最期を迎える時、「今、私は主の愛に包まれて世を去ろうとしています。与えられた生涯には辛い事や苦しい事もありましたが、主イエスさまは私と共に歩んで下さり、多くの恵みと喜びを与えて下さいました。まことに幸いな一生に感謝します。私の霊を御手に委ねます」と言えたら幸いです。