前回、深い理由と意味の分からないコロナ禍の下、ヨブ記は新しい光を当ててくれるでしょう、と記しました。浅い理由は、私たちの罪が神の創造された自然を破壊し、地球規模の気候変動を引き起こしたからです。その結果、より強力なウイルスが発生し、人間に逆襲しているのです。それは罪に気づかせるためです。神から来る深い理由は解き明かされていません。では、神は沈黙しておられるのでしょうか。ヨブは繰り返し、なぜ?と神に問いかけ、自らの上に降りかかった災禍の理由と意味が分からなかったからです。すると、3人の友がその理由を解き明かします。神が沈黙しておられると、人間が語り出すものです。それはヨブ記だけの話ではありません。私たちも同じ。
わたしの見てきたところでは 災いを耕し、労苦を蒔く者が 災いと労苦を収穫することになっている。(ヨブ記4章8節)
これは、エリファズの言葉です。原因結果(因果応報)を用いて、ヨブの災禍を解釈しています。上記の浅い理由に該当します。ですから、間違いではありません。しかし、深い理由を知りたいヨブは納得しません。特にヨブのような無垢な人物は、そうです。作者はそのような人物としてヨブを例にしています。私たちも同じで、すぐに解釈しがちです。こんな目に遭うのは、あなたが~だからです等と、相手のことを思い励ます積りで言葉をかけがちです。しかし、相手には届きません。説明や解釈を聞きたいのではないから。
神はそのなさることをいちいち説明されない。(ヨブ記33章13節)
これはエリフの言葉です。3友とは違う視点で、沈黙される神を訴えるヨブに語りかけます。続く聖句は神は1つのことによって語られ、また、2つのことによって語られるが、人はそれに気づかない。(同14節) 神はヨブを無視し、沈黙しているのではないのです。しかしヨブはそう受け取らず、神に文句を述べた。それが上記の聖句で、私はこんなに問いかけているのに、神は少しも答えてくれない、いちいち説明されない、と言うヨブ。いつの時代も「神の沈黙」は大きな問題でした。キリシタン迫害下にも、コロナ禍の下でも同じです。どうして?と思ってしまう。神は聖書を通し、神の言葉であるイエス・キリストを通して語っておられますそれを聴き取ることが、私たちの課題・責務です。