そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。(ルカ2章1節)

西暦はBC(キリスト以前)とAD(主の年)に分けられていますが、イエス・キリストの誕生が歴史を分けるほど大きな出来事だからです。冒頭の聖句から誕生の年が計算されます。使徒信条に、主は聖霊によりてやどり処女マリアより生まれ…とあります。母はマリアですが、父ヨセフは養父です。実父は神で、その独り子として世に遣わされ、十字架で全ての人の罪の身代わりとして死なれました(贖罪死)。33年半のご生涯でしたが、死んだまま墓に眠る過去の偉人ではありません。主イエスは三日目に墓から復活され、今も生きて働かれている救い主です。歴史的なお方であると同時に、永遠なるお方です。

イエスは王・大祭司・預言者という3つの職制を持っておられます。王の王でありつつ、メルキゼデクに等しい大祭司で、更に、モーセ以上の預言者です。新約聖書は、そうしたイエスを示しています。

その御前にひざを屈め、平伏すべき王の王です。そうした偉大な王でありつつ、大祭司として父神の御前で執り成しの祈りをされているお方です。今も、私たちの罪の赦しを執り成してくださっています。更に、神の言葉を語る預言者として、聖霊によって今も語りかけてくださっているのです。この偉大な救い主を信じないで、一体誰を信じるのでしょうか。混沌として先行きの暗い現代こそ、真の光であり・真の命であるイエス・キリストを信じる者でありたいのです。

迫害の中にあった初代教会の信徒たちは、人が忌み嫌って近づかない地下墓地カタコンブで、礼拝を献げました。お互いに信徒であることを示す魚を、地面に書きました。ギリシャ語では、イエス、キリスト,神の子,救い主,の頭文字になるからです。キリスト賛歌.

 キリストは神であるのに、ご自分を無にして人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が「イエス・キリストは主である」と信仰告白し、父神を賛美するのです。