古い契約の書である旧約聖書を今も読むのは何故?

1. 聖書が証しするのは「福音」=幸福の音信・良い知らせ(グッドニュース)ですが、旧約聖書にはそれが秘められているからです。福音は、イエス・キリストと言い換えることが出来ます。旧約聖書には、人  となられる前(受肉前)のキリストが示されています。

2. 旧約が「行い(業)の契約」と呼ばれるのに対し、新約は「恵みの契約」と呼ばれます。人間の行いに応じて禍福が決まるのが旧約です。律法を守るかどうかが基準になります。それに対して新約は、イエス・キリストが中心になります。私たちが何をしたかではなく(私たちは誰一人として律法を守れないからです) 私たちに代わってキリストが何をしてくださったか、です。すべては恵みだからです。その違いが分かるために旧約がそのまま保存されています。

以上の2つの理由から、聖書には旧約と新約があり、新約聖書だけを読めば十分ではなく、歴史的・民族的な背景としての旧約聖書は読まれるべきなのです。

主イエスの弟子たちが読んでいた聖書は、私たちが旧約と呼んでいる聖書です。まだ、新約聖書は書かれていなかったからです。迫害によって各地に離散させられたユダヤ人たちの間では、ヘブライ語聖書からギリシャ語に翻訳された聖書(70人訳)が読まれていました。古典ギリシャ語ではなく、庶民的なギリシャ語(コイネーと呼ばれ、公用語になっていたギリシャ語)に翻訳されました。70人訳と言うのは、翻訳者が70人だったからです。パウロもその聖書を用いていました。先生であった主イエスの十字架の死と復活は、弟子たちに大きな転機をもたらしました。旧約聖書を十字架と復活の視点で読み直したからです。その結果生み出されたのが新約聖書です。中心的な役割を果たしたのがパウロです。新約聖書の中で一番早く書かれたのが、彼の書簡でした。福音書は、ペトロを始めとした使徒たちが殉教したり召されたりし始めた頃、次の世代に福音を書き残すために生れました。AD60年以降です。福音書は4つありますが、マタイ・マルコ・ルカは内容が似ているので共観福音書と呼ばれます。マタイはユダヤ人向けに、マルコはローマ人、ルカはギリシャ人向けに書きました。最後に使徒ヨハネが、大きく違う視点で書いたのがヨハネ福音書。そして、預言書としての黙示録を一番最後に書き記しました。