今日に至るまで、古い契約が読まれる際に、この覆いは除かれずに掛かったままなのです。(Ⅱコリント3章14節)
聖書は旧約と新約の2つの文書が一冊に合わさったものです。旧約とは上記にある通り、古い契約の書です。新約は新しい契約の書になります。旧約が39巻、新約が27巻、合わせて66巻からなるのが聖書です。私たちは気軽に旧約と言いますが、ユダヤ教の人たちは旧約聖書とは決して呼ばず、ヘブライ語聖書(ヘブライ語で書かれた聖書)と言います。古いとは考えないからです。キュウヤクとは古い翻訳ではなく、古い契約のことです。一般的には、新しいものが出たら古いものは不要になります。しかし、新約時代になってからも、礼拝に於いては古い契約(旧約聖書)が朗読されていました。冒頭の聖句がそれを示しています。私たちも同じで、旧約聖書を聖書として読んでいます。
では、新しい契約と古い契約とはどこが違うのでしょうか。イエス・キリストの誕生以前が旧約時代で古い契約、それ以後が新約時代で新しい契約、と年代的に分けられます。しかし厳密に言うと、イエスの誕生ではなく十字架の死を境に、新しい契約が始まります。主イエスが、その言葉を口にされています。
過越しの食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」(ルカ22章20節)
古い契約も、血を流すことで結ばれました。血を流すとは、死を意味します。アブラハムが神と契約を結ぶ時の情景が、創世記15章に描かれています。契約を結ぶ当事者は、2つに切り裂いた動物を互いに向かい合わせて置き、その間を通り抜けます。契約を破ったら、目の前の動物のように切り裂かれるとの警告です。エレミヤの時代にも同じことが行われていました(エレミヤ34章18,19節)。主イエスは十字架にかけられる前の夜、弟子たちとの最後の食事の後で、自らが2つに裂かれることを覚悟しつつ語られたのです。古い契約は、罪を犯した者が罰を受けます。罪の罰としての死ですが、代わりに動物が殺されるのが旧約です。しかし、年毎に繰り返さねばなりません。そこで神は、ご自分の御子を身代わりにされたのです。それは1度で十分でした。それが新約です。だから、主イエスは「わたしの血による新しい契約である」と言われたのです。主の胸の内を思うと、心が燃えます。