『ラビ・ベン・エズラ』(第32連)~最終回~
神よ、あなたの作品を取って 用いてください。
修正してください、内に潜んでいる疵(きず)・欠点を
あなたの御旨に背く歪みや変形を!
私の時は あなたの御手の中にあります。
御計画の如く 杯(私)を完成してください。
老年をして 青年期を肯定させ
死をして 老年を完成させよ!
神に創造された作品としての自分自身を、修正してください、との祈りです。自分の内に潜んでいる疵や欠点は、自分でもどうすることもできない。だから、神よ、私を完成してください、と願う。完成とは完璧さではない。老年期がそれまでの時期(特に青年期)を肯定するものでありたい。若さ・未熟さ故の失敗、進む道を誤ったのではないかとの悔いなどを、否定しないで受け入れる、あるがままを受け入れる。それが出来ると、心に平安が生まれる。そのように自分の愚かさや醜さを受け入れることができたら、同じように他の人をも受け入れることができます。
愛は否定ではなく肯定するものです。自我の強い罪人であっても、不完全であり続けようとも、或いは、障害が与えられていようとも、その人の全てを「然り」と肯定してくださるのが、主イエスです。その主と同じ姿に造り変えられていきます。それが老年期。やがて迎える死をして、老年を完成するものでありたい。最後の仕上げをしてくださいとの祈りです。死は終わりではない。神の国へと移される来世に続くから。キリスト者は死ぬために生きて来たのではなく、生きるために死んでいく。十字架で終わるのではなく、復活へと続く。死をして老年を完成させよ、とある。32連の長編詩は、ここで終わっている。
ここでもう一度、第1連を引用。老いゆけよ、我と共に!最善はこれからだ。人生の最後 そのために最初も造られた。我の時は 御手の中にある…。何歳になろうとも「最善はこれからだ」と言い続けよう。神が共に居てくださるのだから。そして、神はどんな時でも私たちを見放すことも見捨てることもなさらない。老いの現実は厳しい。それでも、老いは神が御計画された仕上げ期であり収穫期。あなたがたは神の畑です(Ⅰコリント3章9節)。私の人生は神が耕す畑であり、収穫の主は私ではなく神なのです。
以上をもって、英国の詩人ロバート・ブラウニングの長編詩『ラビ・ベン・エズラ』を読み終えます。