『ラビ・ベン・エズラ』(第15連)
青年期を終え 今ここに腰を下ろして
わが人生の損益決算をしてみよう
火炎は灰に帰そうとも なお黄金を残す
それを量って わが歩みを褒めもし咎めもしよう
若い時は議論ばかりしたが 老いてのち真相を知る
人生の収支決算が出来るのは、晩年。その人の評価は「棺の蓋が閉じられて事定まる」と、格言にある。
自らの葬儀において、どのように生きた人だと言われたいかを念頭に生きることである。それとは別に、自分の人生を自身でどう評価するか、を上記の詩2行目が記す。これまでを振り返って、何がプラス(成功)で、何がマイナス(失敗)であったかをじっくり吟味することは誰にとっても大切だから。生命の火が消え、自身は斎場の火で焼かれて灰となろうとも、なお後に残るのが黄金。黄金とは何か。最も価値のあるもの、永遠に残るもの。そうした永遠の価値について、若い時は議論や論争ばかりしたが、ことの真相は晩年になって初めて分かるのではないか。
人が死んだ後にも消えずに残るもの、それは火に焼かれてもなお残る黄金。聖書は、次の3つだと言う。
信仰と、希望と、愛、この3つはいつまでも残る。
その中で最も大いなるものは、愛である。(Ⅰコリント13章13節)
信仰は永遠の命を約束し、希望はどんな状況下にあっても変わる事のない信仰から生まれる。しかし、一番大きなものは愛。人は自ら受けたり得た富などを残すが、それは永遠には残らない。人に与えた愛こそが思いやりや手助けをした具体的な行為と共に、受けた人の中で永遠に残る。その証しがイエス・キリストの十字架の死にある。どうしようもない罪人である私を救うために、自ら命を捨てられたのが十字架の死だから。その愛を知るのは、キリストへの信仰による。
そこから、絶えることのない希望が生まれる。この3つこそ、永遠に価値のある黄金。虎は死して皮を留め人は死して名を残す(諺)。虎の毛皮は美しく珍重される、そのように人は偉業を成して名を残すようにとの勧め。しかし、偉業など出来なくても構わない。ただ、キリストの愛に応答する信仰と希望に生かされ、人にその愛を少しでも示せたら感謝のほかない。