わたしの時は、あなたのみ手にあります。

       (詩編31編15節・口語訳)

  礼拝讃美歌327番の原詩は、Our Times are in Thy Hand、わたしたちのすべての時は、主よ、あなたの御手の中にあります、との言い表し。わたしの時は私のものではなく、神のもの、神の手の中にあるもの。一日24時間を、その神から与えられ、その中で生活しているのです。これから、ブラウニングの長編詩『ラビ・ベン・エズラ』を、何回かに分けて読んでゆきます。その最初の第一連は、次のようです。

 老いゆけよ、我と共に!最善は これからだ。
 人生の最後、そのために最初も造られた。
 我らの時は 御手の中にあり 神は言われる
 「すべては私が計画した。青年はただ その半ば。
  神に委ねよ。すべてを見よ、しかし恐れるな!」と

年老いてゆく加齢現象は、昔から「年を重ねることに喜びはない」と言いがちです(コヘレト12章1節)。ところが、上記の詩の最初は、私と一緒に老いてゆこう、最善はこれからだから、と歌っています。人生の最初である青少年期は、その最後である老年期のために造られてあるのです。若い日の行き過ぎや失敗を補い、修正するのが老年期だからです。そうした修正ができるのは、すべての時が神の御手の中にあるからです。八十歳になった方が、次のように言われました。「80は八十(やそ)と言います。だから、八十代は耶蘇路(やそじ)で、耶蘇キリストと共に歩む路(みち)です」と。心身が弱れば、耶蘇であるキリストが支え強めてくれる、それを実感できる年代なのです。

上記詩の最終行は、神に委ねよ。そして、すべてを見よ、しかし恐れるな!神は私たちの人生を、一つの全体として計画されました。その神の働きを見るなら恐れる必要はない。神が万事を益となるように、すべてのことを共に働かせてくださるのです。その神を信じるゆえに「私と共に老いてゆこう、最善はこれからだから」と、言えます。日々の出来事の中に神の御手を見出し、常に守られているとの安心感を持っていたいものです。年取れば地上での時が残り少ないことを覚えさせられ、
(残された)生涯の日を正しく数えるように教えてください(詩編9012節)と、祈らされます。