しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、
しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになり
ました。        (ガラテヤ4章4節)
 

聖書翻訳は、極めて早くから行われました。旧約聖書(ユダヤ人は旧約と言わずヘブライ語聖書と呼ぶ)の翻訳は、バビロン捕囚などによってパレスチナから地中海沿岸世界に離散したユダヤ人が、次第にヘブライ語を理解できなくなったからです。当時、共通語となっていたギリシャ語、それも庶民が使っていたコイネーギリシャ語に翻訳されました。ヘブライ語を知らない人のためです。その翻訳聖書は70人訳聖書と呼ばれ、パウロら初代教会に於いても用いられていました。エジプトのアレキサンドリアで、紀元前3世紀に72人の翻訳者(イスラエル12部族から6人ずつ)によって72日間でモーセ五書の翻訳が完成したとの逸話があります。旧約聖書全体が翻訳されました。だから新約聖書に引用されている旧約聖書の箇所は、この70人訳からの引用であり、キリスト教が小アジア地方やマケドニア、ギリシャに進展して行ったのには、このギリシャ語訳が大きく貢献しました。主イエスが誕生されたのも、そうした「時が満ちた」時代でした。

それから、聖書和訳に貢献した漢訳聖書についても知っておきたいものです。全文漢字で書かれているのが漢訳聖書で、中国語聖書と呼ばれます。それを作成したのは英国の宣教師モリソンでした。新約聖書の漢訳を1813年、旧約聖書の漢訳を1823年に成し遂げて、『神天聖書』として刊行しています。漢字に慣れた中国人が翻訳したのではなく、英語圏の人が「何とかして福音を中国に伝えたい」との熱意から、漢字だけの聖書に翻訳したのです。勿論、原語からの翻訳です。

江戸や明治時代の日本人は、漢字には慣れ親しんでいましたので、それだけでも理解できたようです。モリソンは既にそのことを知っていたので、漢訳聖書を日本にもやくだたせる思いがありました。そうしたモリソンの遺志は、ギュツラフ、ブラウン、そしてヘボンへと伝えられました。そうした宣教師たちの熱意と信仰によって文語訳聖書~口語訳と引き継がれて、今に至っています。神の言葉を自国の言葉に翻訳する働きは現在も続けられています。それが、ウイクリフ聖書翻訳協会の働きで、まだ自国語に聖書翻訳がされていない国に宣教師を派遣して、その国の言葉に翻訳中。