生涯の日を正しく数えるように教えください。(詩編90編12節)

メメント・モリ(死を覚え、忘れるな)という言葉をご存知でしょうか。中世ヨーロッパでは疫病のペストによって、3人に1人が死亡しました。凄い数になります。当然、身近な家族の死に接し,悲しみと共に恐怖に襲われました。そんな中で自分たちもペストに感染するかも知れないと覚悟していた神父や修道女たちは、いつ死が訪れても、それは自分たちの負うべき十字架であり、そこで生涯を終えることもまた神様の思し召しと思い、出会う仲間同士の間で、「メメント・モリ」という言葉が挨拶のようにして自然に口から出るようになったと言われています。ペストだけでなくコレラの蔓延も、死への恐怖を引き起こしました。それはキリスト者も例外ではありません。今、私たちは新型コロナウイルスという疫病を前にして、同じ恐れを抱いています。米国やイタリアと較べて日本では、それほど致死率は高くありませんが、それでも罹患する苦しみと、死への不安と恐れに変わりはありません。

有名な芸能人がコロナに感染し63歳で、あっという間に亡くなってしまったニュースが、テレビで放映されました。そして、「だからコロナは怖い!」とのコメントが出されました。他人事ではないという警告ですが、受け取ってはいけないのは恐怖心です。それは神から来るものではありません。神は人に不安や恐怖を与えません。むしろ心の平安と安らぎを与えます。そこに主イエスがおられ「私の平安をあなたがたに与える」(ヨハネ14:27)と言われます。 冒頭の聖句の意味するところは、メメント・モリの心で自分の死を見つめ、生かされている今に感謝し、今だけに集中して生きること、そして、出会う人・出来事・しなければならないことに、一期一会の心で向かうこと、それだと思うのです。自分に残された日を正しく数えるには、それが終わる日を知る必要があります。しかし、その日がいつなのかは隠されていて、誰にも(本人も)分かりません。だから、私たちは何となく毎日を過ごし、今日が終われば、当たり前のように明日が来ると考えます。そうではないことを、コロナウイルスは教えているのではないでしょうか。畏れるべきは主だけです。