(終末の徴として)大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起り、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。(ルカ21章11節)
新型コロナウイルスの蔓延による危機的な状況は、かつてのペストやコレラと同じく、歴史の転換点に来ている徴(しるし)かも知れません。疫病が世界の歴史を変えて来たからです。コロナが去った後の世界について、以前と同じ日常にはならない、とWHO事務総長。西暦はBCキリスト前、AD主の年に区分されていますが、それを捩(もじ)って、BCコロナ前、ACコロナ後、と呼ぶ人がいます。それほど大きな変化が来ると言うのです。勿論、推測です。それほどの全世界的な疫病に、私たちは遭遇していることになります。
冒頭の聖句は、弟子たちが世の終わりにはどんな徴がありますか、との問いに対する主イエスの返答です。そこに疫病が挙げられています。ペストやスペイン風邪などの時、驚くほどの人が死亡しています。恐ろしい現象です。しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れるため、百年単位での自然災害のように「忘れた頃、やって来る」のかも知れません。107歳のデルバジェさんは100年前のスペイン風邪を7歳で体験しておられます。そして今年、新型コロナに感染されましたが、驚くべき回復力で、今は普段の生活をされています。神は、このコロナを通して私たちに何を発信しておられるのでしょうか。それを聴き取らなければ、コロナが過ぎ去った後、やれやれ厄介者はいなくなった、という事だけで過ぎてしまいかねません。
今回のことから、主の再臨の近いことを実感する人もいます。世の終わりが近づいている徴だからです。私はS兄が礼拝に於いて、しばしば「主のお出でも近ければ…」と口にしておられたことを思い出します。♪まもなく主来ます♫(礼讃194番)先輩兄弟らが、主の再臨を待ち望む気持ちは真に強く、熱かったと思わされます。主が再臨される時、全世界は大きな変化を迎えます。文字通り、神の国が実現するからです。しかし、私自身はどうかと言えば「生温い」信仰です。大きな地震・関東大震災に遭遇した時、浅田正吉兄は「主よ、憐れみ給え!」と祈りました。今、コロナウイルスを前にして、人間の無力さを痛感させられています。「主よ、憐れみ給え!」と祈るばかりです。