ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしった。 (ヨブ記2章8節)

ヨブは神を畏れ、愛を実践する人で、東の国一番の富豪でした。ところがある日、突如、彼を襲った天災と人災によって、子ども全員と財産全部を奪われてしまいます。更に、彼自身が恐ろしい病に襲われます。ヨブの病名は記されていませんが、らい病(ハンセン病)であったと考えられます。悪性の腫物と訳されますが、単なる重い皮膚病ではありません。天刑病・業病と呼ばれたらい病です。差別用語ですが、この病名が持つ衝撃から敢えて使わせていただきます。この病は疫病に分類されます。新型コロナと較べて、その伝染力は極めて弱いのですが、人々はらい病者に近づくことを恐れ、隔離しました。1人患者が出ると、その家族も忌避されました。それほど呪われた疫病でした。彼が家の中ではなく、灰の中に座ったとありますが、普通の人が座る場所ではありません。それも彼がらい病であったしるしです。そして、全身を覆う皮膚疾患(発熱と痒み)に悩まされます。見るも無残な有り様です。だから、奥さんは「神を呪って死んだ方がまし」と、ヨブに言ったのです。そのような筆舌に尽くせない苦しみの中で、ヨブが求めたのは十字架のキリストでした。「人々から軽蔑され、見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている」(イザヤ53章3節)キリストこそ、ヨブが口にした陰府の塵の上(ヨブ19章25-27節)にまで降られた贖い主だからです。

イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ…(マルコ1章41節)

これはイエスの許に来てひざまずいて願った、らい患者に接する主の態度です。この病によってどれだけ嫌悪され、孤独に苦しんだかを主は知っておられた。腸が捻じれる程の深い憐れみから、その人に触れ、「清くなれ!」と言われたのです。体に触れなくても清くすることが出来ます。しかし主は、誰もが近寄る事さえ忌み嫌ったその人に触れたのです。らい病を知る者には、それは驚嘆すべき態度です。主イエスは、そのような御方です。疫病であるらいを忌避した人々の態度と、前述の主イエスの態度の違い。聖書の中心に在すイエス・キリストこそが、疫病のコロナウイルスで苦しむ人々に必要な救い主です。苦しむ者と共に苦しまれる十字架のキリストにこそ救いがあります。