わたしは彼らに剣、飢饉、疫病を送って・・父祖たちに与えた土地から滅ぼし尽くす。(エレミヤ2410節)

これは、預言者エレミヤが語った主の言葉です。ここに疫病が出て来ます。剣(戦争)の後には、食糧難が生じ、人々は飢えで苦しみます。不衛生から襲うのが疫病です。エレミヤは、神に従わなかったらそうなると警告しました。エレミヤは剣・飢饉・疫病をセットにして14回も警告しています。聖書は伝染病や感染症を総称して疫病と表記しています。それを送り込むのは神なのです。疫病としての様々な病気が、どの時代にも蔓延し人々を苦しめ、死に至らせました。神は傍観者ではなく、御自身の義と愛の狭間で主イエスの十字架を示しておられます。苦しむ者と共に苦しむ神こそが、疫病の真の原因である「罪」の悔い改め(方向転換)を求めておられます。もし今、預言者が神から遣わされてテレビ中継されるなら、エレミヤのように語るでしょう。しかし、神懸かり的で科学的ではないと拒絶されるに違いありません。今は科学的かどうかが一番ですから。では、聖書は非科学的でしょうか。

聖書が書かれた時代には、まだ顕微鏡はありません。16世紀に初めて発明されたからです。それによって一滴の水滴の中にも、無数の生物が存在することを知り驚いたでしょう。顕微鏡で初めて微生物の働きを科学者はつきとめました。1822年のパスツールが有名です。疫病の原因が細菌によるものだと発見したのです。90年前に発明された電子顕微鏡によって、細菌よりも更に小さなウイルスが発見されました。極小の粒子で、生物と無生物の間を漂い、生物の中に宿ることで生きるのです。その1つであるコロナ・ウイルスの新型が、野生動物から人に感染して、大問題になっています。目に見えない敵とされ、私たちは感染を恐れています。このウイルスを神が知らないはずはありません。なぜ人類を襲う敵になったのでしょうか。ウイルスの背後に、神の御手が見えます。ウイルスをコントロールできるのは、それをも創造された神だけです。神は宇宙という無限に近い世界(マクロ)と、ミクロ(極小)の世界の両方を創造されました。真の科学者は、神が創造された無限大と無限小の世界を発見し、驚き、畏敬の念を抱きました。その畏敬の念(信仰)から、人類が犯し続けてきた罪を悔い改めること、それが今、求められています。疫病は警告しているのです。