新型コロナ・ウィルス感染で、世界中が不安と混乱に陥っています。何故こうした事態になったのかを、聖書は何と言っているのでしょうか。神はすべてをご存知であり、何の意味もなく起きてはいません。しかし私たちには、その意味がはっきりとは分かっていません。だから少年サムエルが祈ったように、「主よ、お話ください。僕は聞いております」(サムエル上3章)と、畏れを持って主に申し上げ、耳を傾けています。
サムエル記下24章を、疫病に関する新しい視点で読みます。次のようです。ダビデ王は、国の軍事力を調べるために人口調査を命じました。それは主の怒りを招きました。人口調査そのものは決して悪ではないはずです。しかし今回のコロナ騒動から、これは軍事費の増強を意味していて、医療や福祉の予算を削る意味があるのではないか、と示されました。軍事費を年々増強するのが、日本を始め列国の傾向です。それに近い動機がダビデにあったから、神は人口調査を罪として怒りました。そして、3つの刑罰の中から選ぶよう使者を遣わしました。3つとは、
①7年間の飢饅(自然災害)
②3ヶ月の敗北(戦争)
③3日間の疫病でした。
その中からダビデは疫病を選び、7万人もの民が疫病で死にました。以上の3つは、多くの人を死に至らせ、昔も今も克服すべき課題です。①大地震と巨大津波、大雨や旱魃の自然災害②戦争による死③疫病はペスト、コレラ、マラリヤ、コロナ・ウィルス等として、人類を恐怖と死に至らせました。特に③は、神が調和と秩序を持つものとして創造された自然を破壊し、その生態系を狂わせ攪乱した人間の罪によって生じたと言えます。人間の飽くなき利得追求は奥地開発に進ませ、それまで接しなかった野生動物からウィルスに感染します。中国がその典型です。それが今回の疫病です。『疫病は警告する』(濱田篤男著)によると、疫病の流行は、自然破壊など人間の行き過ぎた欲得行動に対するウィルスからの警告であり、攻撃なのです。
ダビデは自分の罪に気づき、悔い改めます。そして、代価を払って買った場所に祭壇を築き、祈りを込めていけにえを献げます。その結果、疫病は終息します。それがサムエル下24章の内容ですが、私たちは、ここから何を読み取れば良いのでしょうか。すべての出来事の背後に神が居られること、人間の罪が自然災害や戦争や疫病の原因の中心にあるということです。今直面しているウィルスも同じではないでしょうか。