そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ2652節)

 ロシア軍がウクライナに侵攻し、圧倒的な軍事力で破壊し殺傷している現実を知り、世界中の人々が心を痛めています。そんなことはしないだろうと多くの人が思っていた「まさか」が起きています。それを誰も止められないでいます。こうしたことを、私たちはどのように理解し、どのように祈ったら良いのでしょうか。いたたまれぬ思いでいます。

夜のゲッセマネの園に、ローマ軍兵士と一緒に剣や棒を持つ物々しい一団が押しかけます。先頭に立っているのが裏切り者ユダです。それを見たペトロは主を守ろうとして、一人の男の耳を剣で切り落とします。そのときイエスは、冒頭の聖句を口にされたのです。

それはまさにローマ帝国と宗教が結託して、イエスを捕らえようとする中ですが、主ご自身はどんな邪悪なものをも恐れませんでした。イエスは神の軍勢を強く信頼していたので、どんな剣や武器も弟子たちに納めさせたのです。ある方の祈り:「イエス様、あなたは剣によってではなく、聖書によって生きられました。しかし、私は正しいことをしようとする時でさえ、暴力を行使したりするのです。聖書によって生きる生き方や、その具体的な方法も教えてください。」

聖書が告げているのは、剣である軍事力では劣っていても神が介入されると勝利することです。ギデオンがその最たる例です。強者が描いていた勝利の図式は神によって「こんなはずではなかった」という事態に変わります。出エジプト14章19、20節に、出エジプトをしたイスラエルの民に襲いかかろうと背後に迫ったエジプトの軍隊を見て、怯えている民との間に神が介入し、エジプト軍の剣を阻んだとあります。それは聖書の中だけの話でしょうか。聖書の神は昔の神ではありません。今も生きて働かれています。剣を取る者が皆剣によって滅びたのは、大義無きまま軍事力で襲いかかった国の結末です。歴史がそれを証明しています。「主よ、今回の侵攻によって命と平和を奪われた人々がいます。不安と恐れに日々苛まれ、涙が溢れています。あなたが介入して下さり、一日も早く平和を与えて下さい。背後で働く悪魔サタンを踏み潰してください。力強い主の御名によって祈ります。アーメン」
*2022年2月24日に起きた侵攻が一週間を経た今も続行中です。これからどのような展開になるのか、そして、どのように終結するのかも、今は何も分かりません。
そのような中で記しました。(3月3日)