2019年9月22日
①Ⅱコリント1章17~20節:この方においては「然り」だけが実現したのです。然りとは肯定を意味します。はい、yesイエスで、その反対が、否、いいえ、Noノーです。キリストの教えが旧約聖書や他の宗教と大きく違うのは、否定ではなく肯定に徹している点です。十戒はその内8つが~してはいけないの否定で、肯定の~しなさいは2つです。否定と禁止が多い。しかし主イエスは違います。私たちをありのまま肯定し、受け入れてくれます。それに倣い、私たちの会話も肯定から始めたい。『それでも人生にイエスと言う』フランクル著。どんな苦しみや悩みの中に在っても、それでも人生を肯定したい。うつ病になると、生きる意味が分からなくなり、その意欲も消え、すべてが否の否定ばかりになります。そんな時こそ、すべてを肯定したい。なぜなら主イエスがそうされるからです。だから、それでもイエスと言うのです。主には「神の然り」だけが実現するからです。(浜田兄)
②マタイ11章28~30節:疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。本当に弱くて、貧しくて、取り柄のない者に対して、イエス様はそのまま受け入れてくださる御方であることを思わされます。そして、次の聖句が浮かびます。すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら(ヘブライ12章1,2節)。重荷や罪をかなぐり捨てて走り抜けるのは、上記・マタイの聖句があるからです。信仰の道を歩めるのも、主イエス様が共にいて、力を与えてくださるからです。 (柴川姉)