<建徳>
1、イザヤ62章5節:あなたの神はあなたを喜びとされる。
「喜びと笑み」について。人間と動物との違いは、目を高く上げて天の万象を創造した神を仰ぐか否か。更に、顔で笑みを表現できるか否か。笑みで喜びを表現できるのは神の賜物。昨年2月に生れた孫は、生まれたばかりの時は、抱き上げても無表情。それが2ヶ月過ぎた或る日、私を見てニコッと笑った。抱いている私に笑みを向けた。その時、1つの笑みが、私に喜びを与え、幸せな気持ちにすることを知った。その時の喜びは忘れられない。そして、コロナ禍の今こそ、この笑みと喜びが必要だと感じた。

いつも喜んでいなさい(Ⅰテサロニケ5章16節)。
時々良いことがあった時は喜べるが、いつもではない。むしろ不平不満の方が、いつも出やすい。ではどうしたら良いのか。「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(フィリピ4章4節)とも言われている。それが出来る鍵は、「主において」にある。おいて=in 中で、主イエスの中で喜ぶこと。つまり、主を信じた者に与えられる聖霊は、生きて働かれている。その力によってのみ、いつも喜んでいられる。

主の御顔の笑み(礼拝讃美歌194番3節)。
たとえ失敗ばかり、何も成し遂げなかったような私でも、生涯を終える時、主イエスは私を見てニコッと微笑まれ、両手を広げて迎え入れてくださる。その光景を夢見る。主の御顔の笑みこそ、私がいただく最上の報い。しかし、自分を見れば、神に喜ばれるより退けられ、お前など知らないと拒否される方が確か。にもかかわらず主はそうされない。むしろ「忠実な僕よ、よくやりました」と驚くべき言葉をかけてくださる。恵みと福音の意味を、そこで再確認させられる。だから、いつも常に「主において」喜んでいられる。 (K・H)

礼拝讃美歌 213番(…御顔の笑みこそ我の報いなれ)


先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2021-01-10 K・H兄)