ハバクク3章17~19節:しかし、わたしは主によって喜び…。「しかし」に目を留めます。目の前の現実は疫病や自然災害によりひどい状態で、絶望しかないそれはそのままコロナで収入が全く無くなり、今日の暮らしにも事欠くようになっている人々に該当します.そのような状況でもハバククは、「しかし、私は主によって喜び、わが救いの神のゆえに踊る」と記す。それが信仰によって生きる(2章4節)姿です。そんな事,とても無理だと思いますが、高慢ではなく謙遜に生きること、自分の力だけに頼らず、主イエスの憐みと力によって生かされることです。それがハバククの祈り。それは時代を超えてパウロ(ロマ1章17節)や、宗教改革者たちに深い影響を与えました。コロナ禍の今、私たちに必要なのは上記の信仰から来る笑いとユーモアではないでしょうか。苦しい時こそ微笑み、ユーモアで受け止める。山彦の法則:こちらが相手に投げかけた言葉が、そのままこだまとなって返ります。憎しみを投げれば憎しみが倍になって,微笑みを投げかければ微笑みとなって返ります。主イエスは悲しみの人で、私たちと共に痛み苦しまれます。と同時に、ユーモアと笑みをもって、私たちの失敗や愚かさを受け止め、赦してくださる愛の主。そこに、私たちの救いと希望があります。礼讃194番3節♪御顔の笑みこそ我の報い♫

礼拝讃美歌 194番(間もなく主来ます)

(今朝のライブ配信)
ラインによるライブ配信で読む聖書の箇所は、ヨハネ2章1~11節です。カナの婚宴で、主イエスが水をぶどう酒に変えられた箇所です。これが「最初のしるし」として行われた意味も探ります。ヨハネ福音書では、奇跡(力ある業)と表現しないで、しるしと表現されています。新約という新しい時代が始まるしるしとして、主イエスは最初に行われました。

先週ライブ配信された建徳の録音です

(建徳 2020-05-10 K・H兄)