めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。(フィリピ2章4,5節)

大漁

朝焼け小焼だ  大漁だ
大羽(おおば)鰮(いわし)の 大漁だ

浜は祭りの ようだけど

海のなかでは 何万の
鰮(いわし)のとむらい するだろう (金子みすゞ)

この詩を初めて読んだ時、その優しい視点に感銘を受けました。鰯(いわし)の立場になって考えているからです。金子さんは、弱い魚の立場になっているのです。このような発想や見方をしたことがありませんでした。もし、この詩を初めて読まれたのでしたら、どのような感想でしょうか。

あるタレントが、東南アジアのロケ先で食事を出された。豚の丸焼きだったそうです。彼女の足もとには、エサを求める子豚たちが何も知らずに動き回っていました。それを見た彼女は号泣します。同じ仲間が殺され、食べられているとも知らずに、エサを求めているからです。それ以来、食べ残したりしないで、全部食べることが愛になると知ります。食べられるものの身になってみる、そこに優しさと思いやりが生れます。

とかく私たちは、自分のことばかり考えています。自分とは全く違う相手の立ち場になってみる必要があります、そこで、冒頭の聖書の勧めがなされているのです。そして、イエス・キリストが実例にあげられます。キリストは神でしたが、私たちと同じ人間としてマリアから生まれました。それは私たちを救うためです。神のままでも救うことは出来たでしょう。しかし、そうしませんでした。神であることを捨てて人となられ、私たちの身代わりとして、最も残酷な十字架の死を引き受けられたのです。徹底して私たちの立場に立たれました。ここに愛があります。しかも、何という大きな愛でしょうか。

冒頭の聖句は、こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです、と結ばれています。優しさの極みであるのが、主イエス・キリストです。