明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイ6章34節)

明日のことは誰にも分からない。一か月後、一年後のことはもっと分からない。それでも私たちは予定を立てます。あれをしよう、これをしよう、と。その計画や立てた予定通りに普通はできます。でも、それが当たり前ではないのです。そのことを教えてくれたのが新型コロナウイルスです。自分の思い通りには物事は進まない可能性がある、と。

それを知っていたのでパウロは、伝道旅行に行く前、「主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと思っています」(Ⅰコリント16章7節)と、手紙を書きました。私たちの時や時間を緻密に計画実行されている主の許しがなければ、私たちには何もできないからです。だから、ヤコブは次の聖句を書きました。

よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの町へ行ってⅠ年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、あなたがたは自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。ところが、実際は、誇り高ぶっています。そのような誇りはすべて、悪いことです(ヤコブ4章13~16節)。必要なのは、謙遜さです。

主イエスは冒頭の聖句で、何が起きるか、どうなるかも分からない明日のことまで心配しないようにと教えました。今日のことだけでも大変なのに、更に、明日のことまで思い悩む必要はないのです。ところが、何が起きるか分からないから、悪い事や災難を予測し「そうなったらどうしよう」と不安になるのです。そうではなく、明日は明日自らが思い悩むから、今日できることを全力で行い、後は神の最善に委ねることです。明日は神の領域だからです。大切なのは、謙遜さです。(2022年2月9日)