男たちは彼らの食料を受け取ったが、主の指示を求めなかった。ヨシュア記9章14節) 

旧約聖書の中の1節です。約束の地に入ったヨシュアたちイスラエルは、破竹の勢いで勝ち進みます。エリコを攻略し、アイを滅ぼします。それを聞いた周囲の国々は恐怖を感じます。その中の1つであるギブオン人は、滅ぼされないための策略を立てます。そして、まるで遠い国から来たかのように装い、ボロボロになったパンや衣服を、ヨシュアたちに見せます。そして、冒頭の聖句が来ます。自分たちの判断だけに頼り、主の指示を求めなかったのです。結果、後で騙されたと分かったのです。主の指示を求めなかったからです。同じことが、私たちにも起こり得ます。

私たちは小さなことから大きなことまで、毎日沢山の事を決断しています。私は、間違った決断を何度もします。理由は、その都度、主の指示を求めなかったからです。自分の考えや経験だけで判断したからです。勿論、それらが全部いけないのではありません。主の指示を仰ぎ、祈ることを欠かすと、判断を間違いやすいことを聖書は教えているのです。

先日も、私は口にしたことを後で思い直し、前言を取り消さねばなりませんでした。主に祈って指示を求めなかったからです。たとい小さなことであっても、何かを決める時には、少し時間を取り、独りになって祈る(主に聴く)べきだったのです。そうすれば間違わない決断ができます。

私は主の僕(しもべ)(奴隷)です。その意識を持っています。もしそうなら、奴隷が決して自分だけで判断したり決断したりしないし、できないように、すぐ主人の指示と判断を求めねばなりません。なのにそうしないで、自分だけの思いで決めていることの何と多い事でしょう。だから騙(だま)されたり、間違うのです。旧約聖書のネヘミヤは、何かをする前に、まず主の指示を求め祈る人でした。私も、そうすることを習慣にしたいな。これが先日、口にした独り(ひとり)言(ごと)です。あなたはいかがですか?

心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。(箴言3章5,6節)