わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。主を愛さない者は、神から見捨てられるがいい。 マラナ・タ(主よ、来てください)1621、22

聖書の中にはアラム語のまま書き残された言葉があります。マラナ・タも、その一つです。ヘブライ語やそれに近いアラム語を知らない読者のために、その意味を書き添えています。マラナ・タ(主よ、来てください)と。その他に、エリ・エリ・レマ・サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)、エッファタ(開け)などがあります。非常に効果的な手法で、聞いた人の印象に強く残ります。

迫害下にあったキリスト者間で、主が再び来られるまで耐え忍ぼうとの合言葉として、マラナ・タが用いられました。それで手紙の最後に、この言葉を記しました。これまで口述筆記してきたので、最後に「わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します」とペンを取って書き、冒頭の聖句と、それに続く「主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように」(23節)を書き記しました。この書き方から、旧約聖書に見られる「祝福と呪い」(レビ26章、申命記28章)と同じ構図が読み取れます。主イエスを信じず、愛さない者は呪われ、神から見捨てられるがいい(呪いの宣告)。しかし、そうした者たちのためにも、主よ、もう一度来てください、と願っています。そして、主イエスの恵みが信じるあなたがたと共にありますように、更にわたしの愛が、キリスト・イエスにおいてあなたがた一同と共にあるように」(24節)と記しました。

 『希望』(朝祷会賛美選集)に「マラナタ」(59番)があります。作詞・作曲は新垣壬敏(つぐとし)

①主の食卓を囲み、いのちのパンをいただき 救いの杯を飲み、主に在って我らは一つ

(折り返し)マラナタ マラナタ 主の御国が来ますように
     マラナタ マラナタ 主の御国が来ますように

②主の十字架を思い 主の復活を讃え 主の御国を待ち望み 主に在って我らは生きる

(折り返し)

③主の呼びかけに応え 主の御言葉に従い 愛の息吹きに満たされ 主に在って我らは歩む

(折り返し)

主の再臨を切に待ち望みつつ、マラナタと祈ります。