青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。 (コヘレト121

 一般に、老いてゆくことに明るいイメージはなく、加齢=老化と言われたら、諦めるほかありません。そのような風潮のなか、前回、紹介した第1連は、老いを積極的に受け止め、私と共に老いて行こう!最善はこれからだ、と謳っています。続く第2連では、青春時代について述べています。青春の憧憬が描かれ、

百花繚乱の中で 青春の吐息して、
(いず)れの花にしようか、と迷い悩む
さにあらず、花や星のすべてを超越する
心に描いた炎こそ わたしの求めるもの

どの花を選ぶか(誰と結婚するか)、どの星を見つめるか(職業の選択)。その只中で、吐息する青春。若い時に、どんな夢や理想を抱いただろうか。心燃やす炎(大志)は何か?クラーク先生が「大志を抱け」と語りかけた青年から,多くのキリスト者が生まれた。

そして、第3連は「心燃やす炎」について述べています。それは、「霊の炎」です。

・・・むしろ わたしは懐疑を尊重したい
疑いや悩みの中で霊の火花を上げる者たれ

若さゆえ悩み、若さゆえ傷つく青春。老年にはその真っ直ぐさが眩しく、羨ましくさえ思える。未熟さゆえに多くの過ちや失敗を犯し、余計な回り道をしてしまう。今なら、その頃の自分自身に向かって何を語りかけるだろうか、と問うてみたい。若い時代は、それなりに大変。それは、昔も今も何ら変わらない。そのような中で、冒頭の聖句をコヘレトは語った。

青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。
あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。(口語訳)
なぜなら、歳を取ってからでは、目も良く見えず・耳もよく聞こえず・体も思うように動かなくなるから。そして、「わたしには何の楽しみもない」と言うようになるから。自分の創造主なる神を信じるのは、若い青春の日々でありたい。そして、霊の火花を上げよ。主イエス・キリストとの出会いによって、命を捨てる程の無条件の愛を知り、愛の炎が火花のようになる。その主と共に生涯を歩めるのは、何と幸いなことでしょうか。