わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。 (Ⅱコリント4章18節)

依然として新型コロナウィルスの蔓延拡大は終息する兆しが見えません。そんななか今日、与えられた聖句です。この前の節でパウロは「外なる人」は衰えていくとしても、「内なる人」は日々、新たにされているから、落胆しないと言っています。それほど、パウロの周囲には落胆してもおかしくないことが山積していました。宣教活動は妨害され、個人的には病気も抱えていました。「外なる人」の衰えを実感していたのでしょう。でも、彼は「内なる人」に目を留めました。「内なる人」とはイエスさまの十字架の贖いと復活とによって与えられた永遠の命に生きる人のことです。その「重みのある永遠の栄光」に比べれば、妨害や病気は一時的なものだとパウロは断言しています。でも、「内なる人」は私たちの肉体の目には見えません。なので、パウロは「目に見えないもの」に、もっと目を注ごうと私たちに勧めているのです。

新型コロナウィルスの蔓延拡大も、神さまが見えないものにもっと心を向けなさいと示しておられるのではないかと思うのです。私たちは今まで、あまりにも目に見えるものだけを頼りにしてきました。でも、テレビCMで有名になった童謡詩人金子みすゞの「星とたんぽぽ」という詩では『昼のお星は目に見えぬ 見えぬけれどもあるんだよ』と詠っています。私たちが生きる上で欠かせない空気だって目には見えません。目に見えないからといって、その存在を認めないのは愚かなことと言わざるを得ません。私たちは今、目に見えないウィルスに恐怖を感じています。でも、これを目に見えない「内なる人」に目を向けるチャンスにしてはいかがでしょうか。イザヤ40章31節は、主に望みをおく「内なる人」は「外なる人」もまた、弱ったり、疲れたりすることがないと言っています。日本基督教団発行の讃美歌291番♪主にまかせよ汝が身を…♪は私が高校の合唱団で初めて歌った讃美歌であり、爾来、愛唱讃美歌の一つになっています。コロナ禍はもう暫く続くかも知れません。でも、神さまにすべてをおまかせして、祈りつつ、「春」を待ちましょう。 (N・H)